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西大寺(さいだいじ)は、岡山県岡山市東区にある広域地区である。同区役所の本庁管轄域であり、岡山市に編入合併した旧西大寺市域に相当する。いわゆる「広義の西大寺」にあたる。 地域の中心市街地は、古くから西大寺の門前町として栄え、毎年2月に同寺院で開催される日本三大奇祭の一つ「裸祭(西大寺会陽)」で知られる。 なお、同市北区の中心市街地には、当地に由来する西大寺町・新西大寺町という地区がある(詳細は岡山表町商店街を参照)〔岡山城の城下町が整備された後、西大寺門前町から移住した人々が住んでいた事に由来する古い地名である。〕〔谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版〕。 本項ではかつて同地域に所在した西大寺市についても述べる。 ==概要== 1969年(昭和44年)に西大寺市が岡山市に編入合併したときの市域にあたり、政令市施行前までは旧西大寺市役所が西大寺支所として管轄した。政令市移行後は同支所が東区の区役所(本庁)となり、さらに2014年(平成26年)11月25日には区役所が移転開設され〔東区役所等が移転開設しました (岡山市)〕、当地は本庁の直轄となっている。 当地は吉井川を中心に川の東西にエリアが広がる。西大寺市以前は吉井川東岸は邑久郡、西岸は上道郡(上東郡)であった。人口は西岸の方に偏っている〔下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』平凡社(1988年)〕。 当地の中枢は河口西岸に位置する西大寺・金岡であり、古くは金岡庄という荘園があった。この地区は中世から近世にかけて金岡湊の港町、および西大寺の門前町として商工業の発展した地域であった歴史の古い地区である。また、吉井川の高瀬舟と瀬戸内海の廻船との物資の集散地としても栄え、現在の西大寺市街地の基盤となった〔。明治以降、西大寺門前町には商店街が生まれ、それを中心に市街地が形成され周辺の経済の中心として賑わいをみせる。しかしモータリゼーションを中心とした生活に変化していくにつれ、市街地周囲の農地が区画整理され、道路網も整備、次第に商店や企業が周辺地に移転していき、商店街を中心とした市街は活気を失い、市街地としての機能は周辺地に奪われた形となる〔岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山市(1989年)〕。その一方で、中心地は昔ながらの門前町や港町のたたずまいを残した風情ある町並が残っており、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などの撮影地にもなった。 当地中南部には広大な平地が広がるが、大半は古来は海域であり、近世における干拓された新田地帯である。吉井川西岸は上道沖新田、東岸には幸島新田などが造成されている。かつては米の他、ムギ、綿花、イグサなどが主産物であった。特に綿花とイグサは紡績やイグサ製品などの関連加工業も栄え、前述の西大寺・金岡を拠点に各地へ売られた。しかし、近代になると綿花は衰退していき、イグサも昭和期に農家の兼業化により激減した。現在の新田地帯は幹線道路が整備され、周辺は郊外型の市街と変貌し、商店・企業・宅地が立地。農地もいまだ多い地区も多数あるものの、大半が米作中心となっている。さらには沿岸部には企業団地も造成され、様相が一変した〔。 現代において、西大寺は岡山市東部の拠点地区としての地位を占め、副都心的な存在のエリアとなっている〔。 従来からの九蟠地区工業地帯のほか、2001年8月に完成した東部クリーンセンター(豊地区)の周辺に流通センターなどが進出中。カネボウ西大寺工場跡地の活用問題や中心部商店街の衰退などが、現在の懸案事項である。 岡山市を代表する企業である両備ホールディングスや天満屋はこの西大寺が発祥地である。両備ホールディングスの方は現在も西大寺バスセンターが登記上の本店としての機能を果たしており、隣接して両備プラッツ西大寺店が立っている。また天満屋の方は現在は天満屋ハピータウン西大寺店として存在している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西大寺 (旧市域)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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